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太宰治とヘルマン・ヘッセ

2人の生と死の表現を抜き出してみた。

太宰治『葉』冒頭

死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織り込められていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。

ヘルマン・ヘッセ車輪の下』p.198

いま彼は秋の野を歩きまわって、季節の影響に負けた。尽きようとする秋、静かな人と同様に彼を、重い絶望的な気分と悲しい思いへ駆りたてた。彼は、ともに消滅しようとする願い、ともに眠り入ろうとする願い、ともに死のうとする願いを感じた。しかし彼の若さはそれに逆らい、ひそかな粘り強さをもって生に執着したため、彼は苦悶した。


『葉』全体もこのようなフラグメントの集合としてひとつの小説の程を成しているが、この7文でもう完結できるような。
ヘルマン・ヘッセは小説家だけではなく抒情詩人としての一面もあり、このような情景描写がとてもきれい。
ヘッセほど詩的な描写は感じられなかったが、太宰にも『富嶽百景』など情景を中心に展開していく話がある。